どーも!直行直帰の店主です。
今日はいつもと趣向を変えて。
現代インドに迫っていきたいと思います。
突然ですが皆さんに質問です。
インドの首相が誰か知っていますか?
日本じゃあまり知名度がないので知らない方も多いかもしれません。
私自身も実際のところ、インドに興味を持つまでは誰か答えられませんでした。
2021年7月現在、インドの首相は、ナレンドラ・モディといいます。
前編はモディ首相を知る4つの側面と、幼少期から首相に上り詰めるまでの生い立ちについてです。
早速見ていきましょう!
モディ首相のプロフィール
インドには首相の他に大統領もいますが、
アメリカや韓国と違ってインドの大統領には政治的権力がほぼありません。
政治の舵取りを行うのは首相であるモディになります。
現在のインドの人口は約13億5千万人。
2027年には中国の総人口を追い抜くと言われています。
そんな世界最大の民主主義国家インドの今を、
モディ首相という切り口で見ていきたいと思います。
モディ首相を理解する4つの側面
① 貧しい家庭の出身、チャイ売りからのし上がった叩き上げ政治家
現在のグジャラート州ワタナガルという村で、
食料品店を営む一家の三男として生まれています。
当時は村には電気も引かれておらず、
3つの小部屋に両親と6人の兄弟、
計8人が暮らす小さな平屋で育ちました。
父親が副業でチャイを売るのを兄弟と一緒に手伝うような貧しい家庭の出身です。
その後、インド人民党の支持団体である民族義勇団(RSS)に参加。
雑用から徐々に頭角を表し、最終的にはインドの首相にまで上り詰めた、
典型的な叩き上げの政治家です。
出身カースト
インドと言えば4つの身分から成るカースト制度を連想される方も多いでしょう。
モディ首相のカーストは公にはされていませんが、ガーンチと呼ばれる植物油を絞り取ることを生業とするカーストとされています。
(※正確にはインドの職業身分制はジャーティと呼ばれますが、この記事内ではカーストと呼びます。)
カースト制度の外にある不可触民(ダリット)ほど強い差別は受けないものの、
インド政府によって社会的・経済的に遅れた「その他行進階級」に指定されるような下位カーストです。
② インド13億人を牽引するカリスマ性
世界全体を見渡してもインドほどカオス(混沌)という言葉がすっぽり当てはまるような国はありません。
13億人の人口、憲法で認められている言語だけでも20以上、最も信徒が多いヒンドゥー教以外にもイスラム教、キリスト教、シク教、ジャイナ教、仏教など多数の信徒が存在し、多様性とはまさにインドのためにあるような言葉です。
そんなインドを牽引していく首相は強いリーダーシップとカリスマ性がないと務まるわけがありません。
Twitterのフォロワー数は約6,600万人(2021年3月現在)
Twitterでも自らの演説などを発信しており、
フォロワー数はなんと6,000万人超。
その発言に世界中が注目しています。
巧みな演説
知識階層から中間層、低賃金の労働者まであらゆる階層に語りかけるように演説します。
壇上に立つと会場には独特の緊張感が生まれ、
いつもやかましいインド人がモディ首相が演説するときだけは静かになると言われるほどです。
原稿をほとんど読まず、自らの言葉で話し、
あらゆる階層に届く言葉をその場で選びながら話しているのが分かります。
③ 清廉潔白
クリーンなイメージの政治家としても知られています。
実はインド、現在でも公務員による汚職が当たり前のように横行しているんです。
CNNの調査によると、2019年時点で過去一年間に賄賂を支払った経験がある国民は少なくとも2人に1人の割合になるとのこと。
モディが首相になった2014年の選挙戦においても、当時の政権与党国民会議派を「汚職が党の独自性になっている」と批判。
国全体に蔓延している汚職体質に辟易しているインド国民の支持を背景に選挙戦に勝利しました。
半袖のクルタ
クルタとは南アジアに多く見られる伝統的な男性用のシャツです。
長袖のものが一般的ですが、自身がデザインした半袖クルタのスタイルは「モディ・クルタ」と呼ばれており、モディ首相の清廉潔白なイメージの象徴になっています。
④ 仕事の鬼 疲れ知らずの男
仕事は朝5時に始まり終わるのは深夜12時。
日課としてヨガを欠かさず、体調管理も怠りません。
机にじっと座っているより現場指揮を好み、
仕事中毒と言われるほど働きます。
2014年の選挙でも半年間の演説回数は約1800回。
一日あたり10回程度の計算です。
鬼スケジュールだったに違いありません。
正に鉄人です。
首相になるまで
年 | 出来事 |
1950 | 現グジャラート州ワタナガルに生まれる。 |
1956 | チャイ売りの手伝いを始める。 |
1958 | ヒンドゥー至上主義組織である民族奉仕団(RSS)の活動に初参加 |
1971 | RSSに正式入団 |
1985 | RSSの政治組織、インド人民党(RJP)のグジャラート支部に派遣。 政治家への道を歩み始める。 |
1987 | インド人民党入党。グジャラート州議会議員に。 |
1998 | インド人民党本部で幹事長を務める |
2001 | グジャラート州首相に就任 3度再戦し、グジャラートの奇跡と言われる経済成長を達成 |
2014 | 第18代インド首相に就任 |
幼少期
モディ首相は父親の手伝いでチャイを売るような貧しい幼少期を過ごしたことは先程も述べた通りです。
少年時代から活発で運動神経がよく、クリケットが大好きなクラスの人気者でした。
授業では教科の内容より「なぜそんな教え方をするのか?」と教師に食ってかかり困らせたというエピソードがあります。
服を洗うにも常に新しい方法を模索し、とにかく自分のやり方にこだわるタイプでした。
このあたりはワンマン型の指導者とも言われる現在に通じるものがあります。
政治家になるキッカケ
政治家として人生を歩むキッカケとなるのは8才のときです。
初めて民族奉仕団(RSS)の朝の団体訓練に参加しました。
民族奉仕団とはヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党の支持基盤となっている組織です。
宗教団体と政党という関係性でいうと、日本では創価学会と公明党のような関係です。
最初は雑用からのスタートだった
民族奉仕団に正式入団した当初は、掃除洗濯等の雑用ばかりでまともな活動もさせてもらえなかったそうです。
朝夕の体操や訓練など厳しい規律で知られる奉仕団の中で、
先輩の指導を受けながら、禁欲主義者として成長していきます。
塩やチリ、油さえも取らない食事を続けることもありました。
インド北部を訪れる旅に出て、ヒンドゥー教の瞑想の場であるアシュラムで修行をしたとされます。
その後、東パキスタンの独立運動をキッカケにインドとパキスタンが衝突した第三次印パ戦争をキッカケに民族奉仕団の活動を本格化させました。
インド人民党に入党
地道な働きが認められインド人民党に入党すると、アーメダバードの市長選挙でその働きが評価され、当時のインド人民党トップによってグジャラート地区の党代表に選出されます。
その後昇進を続け、1998年のインド人民党が勝利した総選挙でその功績が認められ、党の幹事長にまでなりました。
災害復興を目指すグジャラート州首相に就任
2001年1月にインド西部グジャラート州カッチ県でマグニチュード7.7、都市部直下型の大地震が発生。
死者2万人、負傷者16万6千人の大災害となりました。
地震で壊滅的な被害を負ったグジャラート州の再建を目指して、インド人民党のバジパイ首相が送り込んだのが党内で頭角を現しつつあったグジャラート出身のモディです。
彼の地方政治家としてのスタートは、粉々に破壊された故郷の再建から始まりました。
グジャラートの奇跡
2002年の宗教暴動の責任を取る形で一度辞任しますが、
その後の州議会選挙で大勝。
州首相として二期目を努めます。
州首相としての一番の功績がなんといってもグジャラートの奇跡と言われる経済成長です。
2003年に「躍動するグジャラート」という投資誘致イベントを開催。
営業活動も自身が先頭に立って行いました。
この投資誘致が成功した大きな理由の一つが電力供給です。
実はインド、慢性的な電力不足による悩まされており、しょっちゅう停電が起きます。
海外企業にとって巨大市場であるインドは魅力的ですが、
電力不足はビジネスを行う上で懸念材料になっていました。
そこでモディ首相は電力改革を断行します。
まずグジャラートの暑い気候を利用とした太陽光発電を導入します。
当たり前のように横行していた盗電も厳しく取り締まり、違反者の電力供給を停止するといった措置を取ります。
優秀な官僚を州電力庁の長官に抜擢し、電力体系も徹底的に見直します。
送電と料金徴収の仕組みを改善することで電気料金はほかの州より割高になりましたが、安定的に電力を供給できる仕組みが整います。
結果としてグジャラート州の発電能力は2倍以上に上がり、地震からの復興もわずか3年ほどで達成します。
他にも経済特区の設置、規制緩和、道路・港湾などのインフラ整備を行い、外部から投資を呼び込むことで年率平均10%を超える驚異の経済成長を遂げます。
これら一連の改革は「グジャラートモデル」と呼ばれています。
グジャラートからインド首相へ
グジャラートでの実績を引っさげ、2014年の総選挙前にインド人民党選挙運動委員会会長に就任し、選挙後の党指導者の座を確実にします。
それまでの10年間、インドは国民会議派というインド独立からの伝統的な政党が第一党として政権を運営していました。
国民会議派はあのインド独立の父であるマハトマ・ガンディーも所属していた政党です。
初代首相のネルーに始まり、その娘インディラ・ガンディー、孫ラジブ・ガンディーへと三代に渡って渡ってインドの政権を独占しています。
これは一部ではネルー・ガンディー王朝として揶揄されています。
伝統ある政党なのですが、従来の農村・貧困層から支持を集めるという従来のやり方は徐々に古くなっており、加えて2008年のリーマンショックで経済成長が鈍化し、政府への国民の不満は高まっていました。
彼は2014年の選挙戦において国民会議派政権時代を「失われた10年」と批判します。
物価の安定や雇用の創出、そしてグジャラートモデルに代表されるインフラ投資の強化こそインド再生への道だと説き、その圧倒的な実績とカリスマ性から国民的な人気を獲得します。
選挙の結果は545議席中282議席を獲得し、単独過半数を獲得する完全勝利。
国民からのモディ人気が証明された結果となりました。
2014年5月26日、モディ政権が正式に発足します。
2019年の総選挙においてもモディ首相率いるインド人民党は勝利を収め、
現在インド首相として2期目になります。
世界最大の民主主義国インドの選挙とは?
インドの有権者数は2019年の下院選挙で約9億人もいました。
世界最大規模の選挙です。
選挙は4月〜5月の5週間で7回に分けて行われました。
なにせ人口1億人以上の州が3つもあり、投票所も100万箇所以上。
選挙管理人も警備員も確保できないため、
何回かに分けないと選挙が実施出来ないのです。
今日はこのへんで
今日はモディ首相の幼少期から首相になるまでをお送りしました。
次回は首相以降の政策についてです。
数々のびっくり政策を乞うご期待!
参考書籍
ではまたっ!
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